火星の地上、シチノコの森

遠くの空で雷が鳴っている

SNSアレルギー

 

 

情けない事を書くような感じだが、

僕は遺伝性のSNSアレルギーがある。

 

どうあたっていってもうまく行きそうにない予感で溢れているSNSの中で

僕は予感にもれず何度も人でボールを投げてそのままそれが自分の後頭部に直撃して

一人で泣いて来た。

 

ただの地味で暗いやつということか。

とても肌に合わず、ついていけないのだ。

心を槍で突き刺すような瞬間が、10代の頃から幾度もあり、結局転びに転んで辞めるのだった。

 

誰からも相手にされていないような不安が、雲のうえにあった自尊心と軋轢を生み。

紫色の稲妻を轟かせて脳天に落下する様な。

 

それより美味しいものが食べたい。

山の呼吸の中にいたい。海の底を見たい。

音楽とSNSは密接に繋がっていて、音楽にどん惚れしてしまった僕は、

そのまま空気の薄い世界に身を捧げ、置くことになってしまった。正確にいえば精神をおいているのだけど。

 

本当のことを言えばもう、この世界から足を洗いたいのだけど、

この地球のう絵で生きている間は、なぜかそれが難しそうだ。なぜか。

それはわからない。

 

上手く立ち回っている(様に見える)人々が羨ましいわけでもなく、

ただ蚊帳の外で、ちょっと違うだろうと思っている。

 

思っているけれど、結局何かの物差しなのだ。

本当のことを写しているとは限らないそれが、紛れもない物差しで、

いけていない僕はその蟻地獄の中、もがき、ロックンロールとは違う場所で、

ブルーハーツとは程遠い場所で、空回りにカッコつけながら、格好つけている。

 

音痴というべきなのだろう。

父親のラインが(最近始めた)支離滅裂な言葉遣いなのを目撃して、衝撃を受けた。

自分のSNS音痴は、遺伝性だったのか。と。

 

やっていると浮き足立つのか、わからないけれど、遠くが見渡せなくなり、

目の前がふさがっていくような感覚になり、それも麻痺してわからなくなり、

気がつくと死にたくなるようなことを書き込んだりしている。

そうやって気を病む性格ということなのだろうけれど、自分がそれに引くのだからもう、

どうしようもない。

世界を俯瞰で見るなら、もう地味な僕は、大人しくここで慎ましくしているべきなのだ。

 

未来が見える場所に、自分が生きる場所に、肌が求めている方向に、自分自身を置くべきなんだよ。

 

つまんなくなったら、やめればいい。

 

本当は何がしたいんだろう?

 

即答できる。

 

僕は。

 

海に潜って、そこの世界を見たいです。

 

音楽なんか、そのあとで少しあればいい。

だから、

僕は宇多田ヒカルのようにはなれない。

 

それでいい。

だけど、気を抜いたらすぐに時代のせいにしたくなる。

うまくいかないこと全部。ふざけんなよ、まじで。と。

 

 

自分の役割ってなんだろう?

つまんない見栄で自分を守るのは、何も産まないなと、最近思う。

 

ズタズタに傷付いても、誰かにちょっと迷惑をかけても、

正しいと思う方にさらけ出して行くべきだ。

 

 

SNSアレルギー。バカ

 そんなつまんないことより、宇多田ヒカルに浮かれていたい。

銀杏ボーイズに浮かれていたい。酔っ払って。

 

 

土に返すまで、つづいていく。