火星の地上、シチノコの森

遠くの空で雷が鳴っている

虚空の彼方へきえるインスピレーション

 

 

主張をやめよう。

かっこよく生きるために。

流れ星のように降ってきて、瞬く間にきえる閃き。

 

何かに心の奥に響く、外的なきっかけが

閃きの種みたいなものをてきとうにばら撒いてくれる。

そういうものは、特に疲れてる時なんかに深く染み込んでいくと思う。

 

人の3倍やって生きようなんて、欲張ったけれど。まあ、それなりでもいいとも思ったりするし、

ふと自分を見つめ返して見ると、いつも肝心なことを外していて、

ユーモアとか、なんか気づいてきたたいせつなことも忘れていて、ふと立ち止まって、哀れだなということにやっと気付くわけです。

 

最近は調子乗りすぎた。

休みの日には都会や喫茶店をほっつき歩いて、何も得られず、何もあげられないような1日が、水のように流れ去る。

自分の記憶にも、人の記憶にも残らないように。

何かに影響を与えることもできず。ギターも上手くならない。

 

コロナの渦中に何をしているんだろう。 なぜ浮き足立つのだろう。

こんなぬるま湯の中で、何も産むことはできない。

 

 

ところで思うのだけど、なんでもないことが幸せだと思う。

自分の中にも、人間関係の中に諍いもなく、お腹も痛くない、そんな一瞬が。

そう強く、軽く、感じた1週間だった。仕事の軽トラの荷台で、寝て、倉庫の前のとこで空の下で寝そべって笑ったのがハイライトだった。いつか思い出したいそうな時。

やっぱり人といた方が楽しいに決まってると思う。

 

最近決めていたライブが、緊急事態宣言により、お店が休業になりなくなった、

でもね、自分も調子乗らないで、木々や草や200年の建造物などを見習ってここにしっかりと立って、ギターでも練習できるような穏やかな流れが作れれば良い。自分にとって簡単なことではないけれど。ギターは好きだけど。愛情のある音を出すにはもうちょっとかかるだろうか。

 

 

ツイッターをやろうかどうか迷ってる。

結局自分はああいうものが一番心を病むから。

自分の発する言葉に自信が持てないし、恐い。向かい合うことや、色々とさあ。

 

絵だけでやればやれるかな、なんてね。

昔の深いこと考えないでやっていた自分は、勢いがあったなーなんて事を思う。

 

宇宙兄弟のムッタみたいに、そう思って、その先で宇宙飛行士になったみたいに

自分も飛んでみたいね。とにかく人に影響を受けて、影響を与えていたい。

それは人生の醍醐味やと、重いませんか、なんつって、

 

結局主張してしまうのでした。

難しいことも、深いことも考えないで、ただ自然に楽しいのがいい。

心のゆう事を聞いて、木や石のように、ただそこにあるだけで、いいと思えるようになれば、強いよなあ。

 

 

これを書きながら、友部正人を聴いている。肌に合う、いい音楽。

真島昌利とコラボしたりしているけど、この二人の音楽は、いつどんな状況、感情の時でも聴ける気がします。

 

本当のことが見えたとしても、自分がそれを体現するのは、また別の力がいるのだな。

仕事に忙殺されていると大切なものが沢山手のひらからこぼれ落ちていく。

 

誰か俺の背中を蹴っ飛ばしてほしい。