火星の地上、シチノコの森

遠くの空で雷が鳴っている

恋しいインド

単調な日々、ため息ばかりつくのは欲張りなせいか。地に足をつけて、あたりまえがとてもありがたいのだ、しかし

 

簡単にインドに行った気になれる方法を思いついた。

手桶を使って水道から水を汲んで(トイレの横に水道があるアパート限定だが)ケツを洗えばこれはもうインドだ。インド以来の手桶だ、右手だが

 

手桶水でケツをウォシュレットして洗うというのは一見引くが、

トイレットペーパーより清潔だという説もあるのだ。

 

インドでは蛇口とその下にバケツがあるだけで、流す時もそのバケツに水を溜めて流す、

川の水と同じで殺菌されてないから飲むことはできない、これは東南アジア全体に言える、というよりも日本の方が特殊なのだ。呑める水が水道から出るというのは、

 

そういうかんじだ、

いままで散々大回り遠回りをしてきたけれど、

最短距離を目指さないと間に合わないな。と思う。

 

やりたいことが多すぎる。

なのにやらない時も多すぎて、

体一つじゃ間に合わない

 

それに、

流されていくのも

やっぱり意志が弱いのかな。

 

20代でやってきたいろいろな実らなかった様々をどうにか雲の上に持ち上げて星の上を飛び跳ねて進みたい

 

 

どこの磁場にもひっかかりたくない。

目指すところ以外は。

はろう

刃物のようなSNSの上をこどもたちは歩いていくのだろうか、

この世は悪魔に支配されている

茹でガエルのように人々はそれに気づかず、疑問も持たず何かを忘れて新しいなにかを手にする。

空っぽのなにかとすり替えられても、それにも気づかずに息を紡いでいく。

泥の中に入らなければ、思い出せないことがあり、

めんどうな渦の中に掻き回されなければ、わからないことがたくさんある

 

だってこの世はそうだ 目に見えないもので溢れているはずだから

人間の作ったものなんかじゃ到底測れない何かを目の前をうねっているけれど

鈍感になった現代病の人間たちにそれがチリほどでも理解できるのだろうか

仲間

ってとても大切だと思う

独りよがりに作った時間も制作も、

やっぱり独りよがりのレベルのものしかできない。少なくとも自分はそうだ。

 

骨格が作れても肉付けに関しては誰かと手を取って同じ方向を向いてできた方がいい。

それが幸福だと思う。

それがあれば何も望まない

 

すべてに当てはまることではないかもしれないけれど。