火星の地上、シチノコの森

遠くの空で雷が鳴っている

ニョロニョロ

書くことが思いついていら訳じゃないのにブログを書き始める時間が昔からある。昔というのは12年前の15歳の時からで、干支が一周した今(まさにこの現在)でもこれは同じだ。

さあ、言うこともないし、考えてることもないと思いきや、いやいや埋もれまくっているだけでいろいろあって、もっとご自愛もそうですが、ぬるくぬるぬると、ああそういや、俺の人生俯瞰して考えるとダサいなぁだとか、成功してる人と並べたりして遊ぶと、何も成せてないなぁ、このまま終わんのかなぁとか、昨日の自分と比べようとか、(そんなこと忘れて生きてます。)

あの日の感動とか心の渦とかキラキラもワクワクもドロドロも血ぃダラダラだった時も、オノマトペに乗せて、星屑の彼方へ放り投げたい所存です。

つまりごちゃごちゃと詰め込まれてこんがらがりまくってるシンプルではなかった人生で、自我や利己心を訳もわからず撒き散らして歩いてきたつもりで、振り返ってみたらずいぶん汚れも振りまいて来たんだなぁと、地に足がついて思います。

手応えがないところでずいぶん、もがいて空回りしてて、手応えのある物差しがないんだから、抜け出す道も見つからないまま幾年も無駄にしたような気持ちにもなる。

 

音楽ってものに憧れると同時にとても疲れたりもする。

 

わかりやすくおもしろく生きてる人がうらやましいよ。

 

あのね、一言で言えば結果出してる人が羨ましい。自分の憧れる、やり方でね、カリスマ性みたいなものがバリバリ、バリ!バリバリ(煎餅をくっている効果音(日本語特有のオノマトペを用いて))あってさぁ、俺なんか、これだよ。ああ自意識過剰すら薄らいできてこのままアイデンティティも生きる意欲も無くなって来ちゃうくらい、なんか毎日予定のない日が一か月に1日もなくて疲れ果てているのかもしれない、自分の好きなところを見失っている、でがらしのスルメイカみたいに、噛めば噛むほど味が出てくるところを通り越して、本当に味気ないまま、舞台に上がって、声は出ても心はないような、喜怒哀楽ってやっぱ

大事ね、毎日の中に、器用に生きてる人には、わからないでしょ、

 

 

汚く泥臭く馬鹿みたいに生きてる人にしか、わからないよ。

 

 

 

俺の今の願いはただひとつ、あんなかっこいいアーティストや芸術を振り撒く人になりたい。

伸びた時間の上に座って、仙人や焼き物職人のように蔵に籠って、なにかを作りたい、

人の心、動かす何かを作りたい。

 

 

絶望なのは、(書かなくてもいいけど。)みんな芸術や娯楽におなかいっぱいな時代なこと。なんのために表現するのか、なんのために生きてるのか、お腹いっぱいの人に味がわかるのか、なんつって。くだらないね、バカだ。

ほら、

 

まあ、

 

ね、

 

仏のように。

 

時代に流されないように

 

 

自分を持って

 

 

 

 

 

 

 

自分のアタマで考えて。

 

 

降り出した言葉がほんとうの自分だ。

 

 

ここに自分を叩きつけている。なんの偽りもないダサい人間やもの。