火星の地上、シチノコの森

遠くの空で雷が鳴っている

スーパーアルティメットなんとかちちち

 

そういえば、自分なんかはいつも

現実と向かいあわずにたらたらと1人で

音楽や映像の世界に酔いしれて、泥酔して歩いてきた気がする

気がするんじゃなくそうだったのだと改めて

おととい読んだ本棚で積み本と化していた6年前くらいに買った「音楽が終わって人生が始まる」という本を読んでてそう思った。その本には2011.3.11の震災のことをポップカルチャーに絡めて書いてあって、その当時、あれだけマニアックだった音楽ファンたちが一斉に音楽を聴気にはなれなかった、それと替えられて情報だけを求め、音楽がいかに役に立たないか、

つまり芸術ってものが衣食住が安定した土壌で初めて成り立つということが書いてあった。

音楽の世界に没頭するというのは現実ではない、

 

 

自分でやりながらではあるが

いまの音楽のすごいスピードで新しいものが次々といたるところから出てくる様は、夏の川辺の雑草がすごい速さで背を伸ばして生い茂っている様に似てると思う。

コンピューターの世界で

それについていくことはないのだけれど

 

だから自分の役割はなにかな、それに加担して一本の雑草になるよりまえに、生の舞台をベースにしたいのかな、と考えている。

 

昨日は無力無善寺でライブだったその感想、

刺激的なカオスなとても人間味のあった夜だったので、寝たらいい夢が見れて

中学の友達、こうき君とかライブハウスで知り合った子、また今の会社の後輩や父親など出てきて、多分台湾とかになぜか行っており、面白く色々考えたのでその感想

 

こっちが先に書いた文で字の感じが浮くので

また来週〜

 

結局マンネリしてない人との会話の中にいちばん手応えがある。

自分のことばかり考えずに手を取り合うというか動物の基本的なことにちゃんと足がついた時が、
変な色眼鏡とかフィルターとかそういうの取っ払って人と向かい対峙して、初めてちゃんと人と接し合える。

基本的なことが28になっても何周も回ってまた思い出すことになる
気を抜くと自分になるけれど、鈍感でなくメクラでなくこうなんか、

自分の気の外側を意識して歩きたい、自分ひとりの感覚じゃ意識じゃ全然足りない。

 

いつも『気を』つけて歩いていきたい。

 

 

自分って、ダサいな〜と最近、

よう思います。成長したのかもしれない。

 

ポ エ ム

ポスター

エネルギー

ムキ(の略↑)

 

高校時代から地続きで力みまくっていたので

自分の力以上の壮大なせかいを追い求めまくって、一曲書くのに2年も3年もかけて作ってきたけど(寝かせてるのも合わせれば8年とかのもある)

 

まえのブログにも書いたように、ちからを抜いていなければ、飛躍したことはできない、生産のスピードを上げなければ、前には進まない

 

偉大なバンドの偉大な曲は3分でできてるとか

そういう話で、さ。

 

きっとあんまりそのあとに、その音楽が置かれたあとに残るものって、20分で書いた詩も3年かけて書いた詩もかわらないんじゃないかと、

ライブを繰り返しているうちに分かってきた。これを書いていても、そう思った。

 

それよりも、人間。惹きつけるもの、

巻き起こすながれ、エネルギーのようなもの

目に見えないもの

運のいいもの、ポジティブなもの

 

そういうことの方がずっと重要だ

 

自分はこれからはもう、20分くらいで曲を一曲作っていこうと思う。

お固いひとりのつまんない舞台からはもう、降りようと思う。カッコつけなくていいや。

 

いや、カッコつけないほうがカッコいいのかもしれないと、

やっと大人になってきたのか

そんな気がする。

は て な

自分のポテンシャルの低さに驚きを隠せない。

 

自分の好きなタイプの、全然自分とは違うタイプの人を見ていると、いろいろ気がつく

 

自分の輪郭とか、見えてない、至らない

ところとかが

 

 

ありがたいね。

 

へんな詩をかくのが、自分のタイプかな。

そんなとこ

僕はいまだにいつだって、小学生の頃に帰れる

みんなが結婚したって


男で群がって団地を歩いてた時、うしろをついて来たあのこのことも


いつのひか、
勇気がないままそこに転がったままで
流されるように大学を卒業して


自分の頭で考えるわけでもなく、なんとなく数字に任せるように、人が決めたことに、誰かのつくった船の上に乗って


ゆらゆらふらふらと揺られている波の上を
自分が誰なのかもしらないで
自分の才能は埋まったままで、一年の半分も生きれないでここにいま、


時代の先端で不満を言っては、月を見上げてはまた、しらないばしょをめざしては、くるくる回ってるだけだ。

 

 


ほとんど同じ場所を


どれだけのものを見逃してきたのか
どれだけのチャンスを掴めずにとりこぼしてきたのか
人が投げてくれたボールを落としてきたのか


そんな歌を書いたら悲しくなるだけなのでかかないとしても、細部に宿ってしまうとしても


続いていく木の成長のように、生きている間を楽しめたらいいができるだけ


わかっている ことは
力を抜くこと

 


力を抜かなきゃ、飛躍したことはできない